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マレーシアの歴史や人物を本よりわかりやすく博物館を巡るように解説します!

マレーシアは東西貿易の拠点ということもあって、様々な国に領土を占領され

イギリスの植民地の時代を経て独立した歴史をもつ国です。

独立後のマレーシアは、多民族国家の課題ともいえる国民の統合のために、民

族別政党というマレーシア独自のシステムを作りだし、各民族を代表する政党

が与党連合を組むことで政権を担って来ました。

 

マレーシアの経済発展の基礎を作ったのがマハティール首相で、「ブミプトラ

政策」を強化し、権威主義化を進めるなか”ルック・イースト政策”を押し進め

て引退。

その後、ナジブ政権での政治の腐敗とマレー人優遇政策の転換期を迎えたこと

で、独立以来マレーシアは初めて政権交代が実現しました。

 

マレーシアは、繁栄⇒殖民地⇒独立から政権交代に至るまでの歴史のなかで、

言語から始まり宗教・文化・建築物、さらには政治・経済・産業、そしてマレ

ーシアの各地域や民族にまで、様々な影響を残した国々を見ることができま

す。

 

マレーシアをより理解するために、様々な方向からマレーシアの歴史を徹底解

説していきます。

 

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Contents

マレーシアは4つの国に450年以上も占領されていた歴史がある

マレーシアは、東南アジアの中心部に位置していたため、昔からヨーロッパ・

東洋・インド・中国などからの主要な海洋交易の中心地としての役割を果たし

てきました。

マレーシアが「マラッカ王国」として誕生してから繁栄できたのは、香辛料な

どをヨーロッパまで運ぶ海のシルクロードの中継地だったからです。

 

それがゆえにマレーシアは、世界各国の領土争いに巻き込まれ、4つの国に450

年以上も占領されてきました。

 

1511年にポルトガルに占領されたことからはじまり、オランダ・イギリス・そ

して日本もそのなかに入っています。

そんな歴史があったにも関わらず、マレーシアの人は他の国の人々にも寛容で

親日家が多いことで有名です。

今では日本人にとって、ロングステイしたい国として12年連続1位を更新し続

けています。

マレーシアに行くのであれば、かつては日本人がマレーシアを占領していた時

代があったという事実を知っておくことは大切なことです。

 

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マレーシア は1957年に独立し急速な都市化を遂げた国

終戦と共にマレーシアは、再びイギリス直轄地となりますが、マレー半島にあ

る州が結束して「マラヤ連邦」が独立を勝ち取りました。

さらに、シンガポール・北ボルネオ・サラワクの各地と「マラヤ連邦」を統合

して、「マレーシア連邦」が誕生しましました。

 

マレーシアが、独立するまでの主な年表をまとめてみました。

 

マレーシアの独立までの主な歴史年表

マレーシアの歴史は、1390年代にスマトラ島のパレンバンの王族「パラメスワ

ラ王子」が、新天地を求めてマラッカに移り住み建国したことから始まりま

す。

 

●1396年:マラッカ王国建国(14世紀にマラッカが貿易港として栄える)

●1511年:ポルトガルの占領時代が始まる

●1641年:オランダの時代占領時代が始まる

●1896年:イギリスの植民地時代が始まる

●1942年~1945年:日本占領時代が始まる

●1945年:再びイギリス領となる

●1957年:8月31日にマラヤ連邦としてイギリスから独立する

 

イギリスから自治領という形で、マレー半島内の一部がペナン・マラッカを中

心に「マラヤ連邦」として独立しました。

 

初代首相はアブドゥール・ラーマン。

8月31日は、Merdeka Dayという祝日で、国をあげて独立を祝います。

Merdeka(ムルデカ)とは、マレーシア語で独立という意味です。

 

1963年:各地が統合され、シンガポールも含めた「マレーシア連邦」が誕生。

終戦から約20年後に、やっとマレーシアに国の主権が返還されました。

 

その後1965年にシンガポールが独立し、現在の独立国家としてのマレーシアが

誕生したのです。

 

マレーシア国旗が「栄光のストライプ」といわれる歴史と意味

国旗には、歴史や意味・想いが込められています。

マレーシアの国旗には「栄光のストライプ」というニックネームがあるといい

ます。

マレーシアの反英感情は比較的薄いといわれ、赤・白・青は、イギリス国旗の

ユニオンジャックに由来しています。

 

もう少し細かく、国旗にどのような意味が含まれているのかを紹介します。

 

  • 赤と白・・・・・・東南アジアの伝統色
  • 青い部分・・・・国民の団結の象徴(多民族国家団結の意味)
  • 黄色い部分・・・・・・「スルタン(国王)の権威」(代々続くマレー王家の色)
  • 赤と白の14本の線・・・・マレーシアの14州(13 州と連邦政府が対等の立場に立つ象徴)
  • 月と星・・・・・・イスラム教のシンボル(三日月⇒発展;星⇒知識)

 

マレーシアのお金に込められた歴史

世界には多くのお金の種類がありますが、お金にも国の特色が現れています。

マレーシアの通貨は、RM(リンギット・マレーシア)が採用されています。

現在流通している紙幣には、新紙幣および旧紙幣 が混在しています。

紙幣の種類は、RM100 ・ 50 ・ 20 ・ 10 ・ 5 ・ 2 ・1 の7種類です。

 

まずマレーシアの旧紙幣の表面には、初代の国王「アブドゥル・ラーマン」の

肖像が印刷されています。

新紙幣からはポリマー紙幣が採用され、マレーシアの国花ハイビスカスが印刷

されるようになりました。

紙幣の裏面には、マレーシアを象徴する建物や名所・品物が印刷されていま

す。

 

一方、現在流通している硬貨は、5・10・20・50 Sen の 4 種類です。

これまで発行された硬貨は 3世代。

デザインだけでなく大きさや形も変化し、マレーシアの伝統的な品物や国花

(ハイビスカス)・国会議事堂・三日月や星などが刻印されています。

 

マレーシアで発行された日本の紙幣の歴史

かつて日本は、マレーシアを植民地化した時代がありました。

その時代に、日本の「軍票」というバナナのイラストが描かれたドル紙幣がマ

レーシアで発行されました。

日本軍の敗戦によって、マレーシアで発行された紙幣は価値を失い、バナナの

葉っぱよりも価値がないと皮肉られ、「バナナ・リーフマネー」と呼ばれたと

いう話が残っています。

 

数こそ少なくなりましたが、マレーシアのマラッカや東南アジアの国々で、旧

日本政府が発行した紙幣を見つかることがあります。

マレーシア独立記念博物館では、歴史のひとつとして「軍票」が展示されてい

ます。

 

マレーシア文字と言語の歴史

文字や言語は、民族固有の文化や伝統を意味していて、人々の価値観や関係性

が込められているため大切に扱われているものです。

マラッカ王国は、物品の交易のために創られた都市で、イスラム教を受け入れ

ることにより、アラブの商人を通して繁栄してきました。

それと同時に、イスラム教を通じて「文字」という貴重なモノも手に入れまし

た。

建国の時代のマラッカ王国はマレー語を使っていましたが、当時のマレー語に

は文字がなかったのです。

その文字というのが「コーラン」に使われているジャビ文字です。

 

多民族国家であるマレーシアでは、多言語も複数存在していますが、現在マレ

ーシアで使用されている公用語は、「標準マレー語」とほぼ同じで、「シャビ

ィ語」のことをいいます。

 

シャビィ語はジャワ島を語源としていて、中東における東南アジア出身のムス

リムを示す言語でした。

また、マレー半島とスマトラ島東海岸に住むマレー人の言語であると同時に、

マラッカ海峡を行き来する商人の共通語でもありました。

そのため、インドネシア・シンガポール・ブルネイで使われている言語と元は

同じものになります。

 

本来マレー語は、アラビア文字で表記されるものですが、植民地時代にラテン

文字(ローマ字)表記のマレー語「ルミ」に転換されました。

そのため、マレー語のほとんどがローマ字表記になっています。

2000年代に入り、マレー人の文化や伝統の継承という意味で、マレーシア政府

が学校教育のカリキュラムに「シャビィ語」の教科が組み込まれるようになり

ました。

 

つまりシャビィ語は、マレー人の絆を深める役目も担っているのです。

 

近年になり「マレー語」は、マレー人の言葉としてだけでなく、マレーシアの

公用語であるという意味で「マレーシア語」と改名されています。

 

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マレーシアの宗教の歴史

マレーシアは東西貿易の拠点ということもあって、アラブやインドのイスラム

教徒の影響を受け、15世紀後半にイスラム教国となりました。

その後、マラッカ王国が領土を占領されたことによって、ポルトガル・オラン

ダ・イギリスの支配を受けてキリスト教が伝来しました。

さらにイギリスの植民地時代に、錫鉱山やゴム農園の労働者として移民してき

た中国系やインド系民族により、仏教やヒンドゥー教も伝来してきました。

 

本来マレーシアはイスラム教の国ですが、多民族国家ということもあり様々な

宗教を受け入れています。

マレーシアでは、お互いの宗教を尊重し合っているため、イスラム教の祝日だ

けでなくヒンズー教の祝日・中国の旧正月・クリスマスまでもが祝日となって

います。

 

多民族国家マレーシアで多文化の共存を実感できるのが宗教建築

多民族国家マレーシアの特徴のひとつが、民族に合わせた形で宗教が根付いて

いることです。

そのため、ひとつの街に、それぞれの宗教の寺院が混在して存在していま

す。

なかでもマレーシアのモスクは、東西の文化や伝統が融合したマレーシアの象

徴ともいえるものでしょう。

 

マレーシアを代表するモスクの歴史

モスクとは、イスラム教徒が礼拝を行うための施設のことをいいます。

マレーシアは60%以上がイスラム教徒というだけあって、モスクが生活の中に

心の拠り所として溶け込んでいます。

マレーシアが1957年に独立してから多くのモスクが見直され、また新しく建築

もされてきました。

 

代表的なモスクとしては、

 

『カンポン・クリン・モスク』(1748年)・・・マレーシア最古のモスク

貿易港として栄えたマラッカを象徴するような、東西の建築様式が融合したス

マトラ様式の建物です。

 

『マスジット・ジャメ』(1909年)・・・クアラルンプール最古のモスク

クアラルンプール発祥の地で、クラン川とゴンバック川の合流地点に建っています。

 

『プトラ・モスク』(1999年)・・・「ピンクモスク」といわれるモスク

マレーシアの行政新首都であるプトラジャヤにある

 

●『スルタンアフメト・モスク』(1616年)・・・世界遺産「ブルーモスク」

イスタンブール歴史地域の建造物群のひとつで、”世界一美しいモスク”とも称

されています。

 

どの街にも必ずあるというモスクは、地域によって様々な建築様式や美術が時

代背景や歴史を写し出し、当時の文化の融合が見事に表現されています。

 

マレーシアの各人種・民族の歴史

マレーシアは、国民の半数以上をマレー系が占めていますが、華人系・インド

系の他に、少数民族や各人種の混血の人も存在しています。

多民族国家でありながらも、ひとつの文化や宗教に統一されるのでなく、各人

種がルーツを大切にしながら融合しあう社会は、世界でも数少ない存在だとい

えるのでしょう。

 

では、マレーシアの歴史を、主となる人種を通して見てみることにしましょ

う。

 

マレーシアのマレー人の歴史

マレー人のルーツは、約 5000年前に中国大陸や、チベットから大移動してきた

西マレーシアの原住民オランアスリの祖先にあたる人々です。

また、サラワク州のイバン族、ビダユー族、サバ州のカダザン族などの先住民

も含まれ、各民族がそれぞれの文化、風習、宗教を生かしたまま暮らしていま

す。

 

マレー人は国民の60%以上を占めていて、ブミプトラとしても知られていま

す。

マレー人と比べて中国系やインド系の人達は、少数でありながらも独立以前か

ら経済に強く、教育の面でも競争力が強かったため、マレー人との経済格差が

広がったのです。

そのためマレー人は、多数民族でありながら優遇策が必要とされ「プミプトラ

政策」で守られてきました。

近年では、優遇政策の浸透によってマレー人の甘えを生み、マレーシア自体の

国力の低下に繋がるということで政策の見直しも行われています。

 

マレーシアの華人の歴史

「華人」は、移住先の国籍を取得した中国系住民のことを指します。

マレーシアに移住した華人は、主に明・清・中華民国の時代に始まります。

最も多くの華人が移住してきたのが20世紀頃で、天然ゴムや錫産業の労働者と

して多くの人たちが移住してきました。

移住者の出身地は主に、中国南部の福建省・広東省・広西省・海南省の人たち

が多かったようです。

 

現在のマレーシアの華人は、労働者として移住してきた人たちの子孫にあたり

ます。

マレー人優位政権により、公的・政治的な舞台での活動が制限されています

が、華人は結びつきが強く経済意識が高いため富裕層が多いのが特徴です。

人種差別に対しては、経済力で活動範囲や選択肢を広げることで対応していま

す。

経済力があるがゆえに、国や地域の政治や経済に大きな影響を及ぼす存在でも

あります。

 

マレーシアのインド人の歴史

マレーシアのインド系の人々は、20世紀初頭にイギリス植民地だったインドか

ら、主にゴム農園での労働者としてマレーシアに移住してきました。

移民者の大半は、南インドのマドラス州出身者で、タミル語を母語とした民族

です。

現在のマレーシアのインド人は、労働者として移住してきた人たちの子孫にあ

たります。

 

インド系移民は少数ながらも他民族の文化に影響されることなく、インドの言

語教育や宗教活動を活発に行い民族の文化を継承してきました。

その証として毎年、ヒンドゥー教最大の祭り「タイプーサム」が、ヒンドゥー

教の聖地として有名なバトゥ洞窟で盛大に開催されます。

ここに集結するのは、シンガポール・マレーシア・インドなどで暮らすインド

系タミル人で、集まる人数は100万とも200万ともされています。

 

マレーシアの独立以降の歴史

独立後から現在のマレーシアまでの歩みは、シンガポールがマレーシアから分

離独立したことから始まります。

 

●1965年 シンガポールがマレーシアから独立する

●1968年~1989年:マレーシアでの共産主義者の反乱時代

●1969年  5月13日:マレーシア史上最悪の民族衝突事件が勃発

●1981年:マハティール氏が首相に就任

●1984年:サバ州沖合のラブアン島が連邦直轄領になる

●1999年:首相官邸が新行政都市プトラ・ジャヤに移転

●2003年:マハティール氏が首相を引退

 

マハティール元首相は、”ルック・イースト政策”を提唱して今日の経済発展の

基礎を築き、近年では先進国入りを目指すまでになりました。

 

マレーシアの歴史に関わる人物

マレーシアの独立と発展に、表舞台と裏舞台で大きく貢献した2人の人物を紹

介します。

 

レーシアの独立に半生をかけたノンチック上院議員

ラジャー・ノンチック議員は、マレーシアの独立に半生をかけた人物です。

イギリスの植民地支配に苦しんでいたマレー半島の独立のために、留学生とし

て日本に派遣されます。

日本留学の経験を経て祖国独立のための戦いを続け、1957年に祖国独立を果た

しました。

さらに、ノンチック議員を含めた日本への留学生たちが中心となり、現在の

ASEAN(東南アジア諸国連合)も設立されました。

 

マレーシア経済成長の礎を作ったマハティール氏

マハティール氏は、1981年~2003年までの22年間マレーシアの首相を務めました。

マレー人を優遇する「ブミプトラ政治」を強化し進めてきた中心人物です。

また、日本などのアジアの発展に学ぶ「ルックイースト政策」のもと、マレー

シア経済成長の基礎を作り上げてきた人物でもあります。

後継者のナジフ政権の腐敗を批判し、92歳と高齢ながら15年ぶりに再び首相に

就任し、選挙で選ばれた主相として世界最高齢の指導者となりました。

 

マレーシアとシンガポールとの関係の歴史

もともとシンガポールは、マレーシア連邦のひとつでした。

独立後のマレーシア中央政府のマレー人優遇の考え方と、シンガポールの全て

の種族を平等に扱う考え方が合わず、国家理念をめぐる対立になりました。

その結果、1965年にシンガポールはマレーシア連邦から独立。

 

その後のシンガポールは、人種差別をなくて多民族国家をまとめながら、観

光・国際会議・物流の中継地として劇的に発達してきました。

シンガポールは独立後もマレーシアとは交流があり、5万人を超えるマレーシ

ア人がシンガポールで給料を得ています。

 

マレーシアとシンガポールは、コーズウェイ橋の鉄道と道路によって連結され

ています。

マレー鉄道なら約50分で行き来できるため、両国にとっても重要なビジネス圏

内としての存在でもあります。

また、ジョホールバルはシンガポールに比べて物価が安いため、シンガポール

側からマレーシアへ買い物に来る人も多くいます。

そのためマレーシアでは、シンガポールドルが利用できる店舗も数多く存在し

ています。

 

◆シンガポール マレーシア 関係については「シンガポールとマレーシアの関係、対立・追放(独立)から協調へ」で詳しく解説していますのでこちらを参考にしてください。

 

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マレーシアの主な地域の歴史

マレーシアは、世界で 4つの主要な文化といわれる中国・インド・イスラム・西洋からの影響を受けている国です。

その背景には、マレーシアがポルトガル・オランダに占領され、イギリスの植

民地化によって大きく変化を遂げていった歴史が、地域の特性として残ってい

ます。

 

では、マレーシアの歴史を、地域別で見てみることにしましょう。

 

マレーシアの歴史:進化する近代都市クアラルンプール

通称KLとも呼ばれるクアラルンプールは、スズ産業によって発展してきまし

た。

イスラムや中国文化が色濃く反映され、イギリス統治時代の歴史を残す西欧風

の建築物や街並みが各所に見られます。

西側は英国統治時代からのオールドタウンで、歴史ある建造物が立ち並んでい

ます。

東側の中心地区KLCCには、「ペトロナス・ツイン・タワー」や「ブルーモス

ク」や「ピンクモスク」があり、近代建築と自然が見事に調和された美しい都

市です。

 

マレーシアの歴史:ユネスコの世界遺産の街 マラッカ

マラッカは、600年以上の歴史を持つマレーシア随一の古都で、貿易の中継点

として繁栄した当時の様子が垣間見られる街です。

マレー系先住民族はもちろん、中華系移民・ポルトガル人の子孫ユーラシアン

民族・混血のババニョニャ民族・インド系移民が共存して歴史の街マラッカを

形成しています。

マラッカの旧市街は、東西の文化が融合した独特の街並として、ユネスコ世界

遺産に登録されています。

 

「プラナカン」と呼ばれる中華系移民の文化、植民地時代のポルトガル・ラン

ダやイギリスの文化など、アジアと欧米が色濃く残る独特の文化が形成されて

いて、まさにマレーシアの歴史の縮図が見て取れる地域といえるでしょう。

 

マレーシアの歴史:「大富豪の都市」と呼ばれたイポー

イポーはスズ鉱産業の発展により、マレーシア第3の都市にまで発展した街です。

イポーのスズ鉱開発による成功と財産は、「錫城」や「大富豪の都市」と呼ば

れたほどです。

この時期に、数万人規模で中国人労働者が移住してきたため、イポーの民族構

成は中華系70%・マレー系17%・インド系12.5%・その他0.5%と、中華系が

圧倒的に多くなっています。

 

またイポーは、コロニアル調の美しい街並みが残る「美食の街」として、世界

各国の料理が食べられることで美食家たちが集まる街としても有名です。

 

マレーシアの歴史:コタキナバルと手つかずの大自然 ボルネオ

ボルネオ島(=カリマンタン島)は、北側1/3が未だ手つかずのジャングルと、

2つの世界自然遺産がある世界第3位の面積を誇る島です。

ボルネオ島は3ヵ国が領有していて、北側の1/4をマレーシアが領有していま

す。

 

サバ州のコタキナバルは、ボルネオ島の中心都市で、現在の住民の祖先が住み

着いたのは、約4.5千年前といわれています。

イギリスの統治下時代を経て独立し、第二次世界大戦中は日本の占領下となり

ます。

コタキナバルは、原木輸出によって経済が繁栄してきましたが、原木輸出が低

迷した現在は、パームオイルとエコ・ツーリズムで州の経済を支えています。

 

マレーシアの歴史:数々の伝説が残る島 ランカウイ

ランカウイ諸島は、アンダマン海に浮かぶ宝石のような島々として有名です。

ユネスコの世界ジオパークにも認定されている99の島々からなり、数々の伝説

が伝わる神秘的なスポットが楽しめるエリアとなっています。

実はランカウイ諸島はマレーシアよりもタイのほうが近く、マレーシア政府も

開拓せずに長年放置していた島です。

島民は漁や農耕で、自給自足に近い生活をしている貧しい地域でした。

ランカウイ島を「第2のペナン」にするため、政府が開拓しリゾート地としてオ

ープンして、島全体を免税としました。

 

マレーシアの歴史:「イスカンダル計画」が進むジョホール・バル

マレーシア最南の州都のジョホール・バルとシンガポールは陸路で国境を越え

ることができます。首都クアラルンプールに次ぐ第2位の都市でもあります。

ジョホール・バルは輸出作物の栽培が盛んで,天然ゴム・アブラヤシやパイナ

ップルが小栽培されていました。

マレー半島の中部から鉄道が敷設されると,シンガポール経由で輸出されるス

ズと天然ゴムの輸送中継地として発展していきました。

ジョホール・バルでは、「イスカンダル・マレーシア開発計画」が進められ、

急速な発展を遂げています。

 

マレーシアの歴史:世界遺産のジョージタウンとリゾートの島ペナン

ペナン島は、16 世紀頃に、ポルトガル人の商人らが香辛料等の貿易をするための中継港として栄えた島です。

マレーシアで、最初の自由貿易区として開設されたのがペナン島でした。

ペナン島は、東洋の真珠とも呼ばれる世界遺産の島で、人口の半数弱を華人が

占めています。

ペナン島のなかでもジョージタウンは、イギリス植民地時代の面影を色濃くと

どめる建築物や、街並みが残る世界遺産に登録された街です。

 

現在のペナン島は、首都クアラルンプールに次ぐ第2位の観光客数を誇るビー

チリゾートとなっています。

またペナン州には、日系を含む外国企業が多く進出していて製造業が盛んであ

るため、ペナンからの輸出額はマレーシア全体の約 30%を占めています。

 

マレーシアのスズ鉱山と天然ゴム産業の歴史

マレーシアを代表する第一次産業には、天然ゴム・スズ・パームオイル・原

油・木材などがあります。

なかでもマレ―シアの経済発展に大きく貢献したのが、スズと天然ゴム産業で

す。

マレーシアを発展させてきたスズと天然ゴム産業の歴史を見てみましょう。

 

スズ鉱山産業が鉄道や道路網の開発を促した

スズ鉱山開発は、1848年、ペラのラルートが始まりでした。

イポーのキンタ渓谷からクアラルンプールのクラン渓谷にかけての一帯は、マ

ラヤン・ティン・ベルトと呼ばれ、世界最大のスズ生産地として知られていま

す。

イポーのキンタ渓谷はその中で最大の産地で、スズ鉱の閉鎖まで主要なスズ産

出地でした。

スズ鉱産業の発展は、鉱石の輸送目的で鉄道や道路網のインフラ発展に大きく

貢献しました。

 

マレーシアの天然ゴム生産は世界1位だった

天然ゴムは、イギリスが持ち込んだゴムの種子で栽培をしたことが始まりで

す。

自動車産業が発達してゴムの需要が増えたことで、マレーシアのゴム農園が盛

んになり天然ゴム生産で世界1位となりました。

この時期の労働力不足を補うために、多くのインド人の移民を招きました。

1980年代後半以降、天然ゴムからアブラヤシの生産に力を入れたことで、マレ

ーシアの天然ゴムの生産量は世界第3位に後退しました

1990年代後半になって、改めて天然ゴム生産の首位奪還を目指して、ゴム産業

の活性化に着手しています。

 

マレーシアの政権交代に至った政治の歴史

現在のマレーシアは、シンガポールと並んで、権威主義的な政治体制のもとに

「選挙制度」が取り入れられている国です。

マレーシアの政治の歴史は、独立の時にイギリスの議会制民主主義制度を導入

したことから始まります。

独立後のマレーシアは、多民族社会の課題でもある国民の統合という壁が、民

主主義の理念や制度を実現するうえで障害となり「権威主義化」へと向かいま

した。

 

国民の統合を、議会制と政党政治の枠組みの中で実現させるために生まれたの

が、民族別政党というマレーシア独自のシステムでした。

つまり、主となる民族のマレー人国民組織・マレーシア華人協会・マレーシア

インド人会議が、各民族を代表する政党となって与党連合を組み、その中で各

民族の利害を協議・調整する仕組みが生れたのです。

 

1960年のマレー人と華人とが衝突した民族暴動(5・13事件)が起こったこと

を境に、民族間で広がった富の均衡化が国家の安定だと位置づけ、マレー人優

先制度が進められ「プミプトラ政策」が導入されました。

 

その後、マハティール氏が、1981年に首相就任して「ブミプトラ政策」を引き

継ぎ、権威主義化を進めるなか”ルック・イースト政策”により、経済発展の基

礎を築きました。

マハティール氏の引退から15年、ナジブ政権での政治の腐敗とマレー人優遇政

策の転換期を迎えたことで、与党連合の指導的立場にあったマハティールは、

自ら離党して野党連合に加わり総選挙で勝利して主首に帰りいざいたのです。

 

1957年の独立以来、マレーシアは初めて政権交代が実現し、61年にわたり

続いてきた与党連合の支配に終止符が打たれたのです。

 

マレーシアの経済発展への歴史

 

かつてのマレーシアは、スズ産業やゴム農園・パームの生産が主要産業でした。

1980年代半ば以降、特に電器・電子産業の進出により、製造業がGDPの3割を

占めるようになりました。

業種別に見ると、サービス業がGDPの6割弱、製造業が3割弱を占めています。

経済規模に比して労働力人口が少ないため、労働力不足を補うのに外国人労働

者の活用が不可欠で、正規の外国人労働者だけでも百数十万人が働いていま

す。

先進国の仲間入りをするために、政府は様々な経済政策を打ち出しています。

 

マレーシア の鉄道の歴史

「マレー鉄道(KTM)」は、シンガポールから北上してタイのバンコクへ繋がる

国際鉄道です。

ペラ州北部に位置するタイピンから、沿岸部のポート・ウェルドまでの約

13kmの区間がマレー鉄道の原点です。

スズ産業がタイピンを拠点に始まったことで、大量輸送の必要性で鉄道が敷か

れたからです。

次に、スズの生産拠点であったクアラルンプールから、ポート・クランを結ぶ

路線が開通しました。

そして1913年に、マレー半島を縦断する現在の鉄道ルートが完成します。

 

現在のマレーシアは、マレー鉄道のほかにも

・クアンタン

・ケルテ鉄道システム

・ペナンヒル鉄道

・サバ州立鉄道

都市鉄道としてLRT・モノレール・MRTが運行されています。

 

クアラルンプール市内は、全体に電車が通っていて本数も多いのですが、車社

会ということもあり地方では本数も少ないうえ、整備が追い付いていない状況

にあります。

 

マレーシアは歴史的建造物の宝庫

クアルランプールは、旧中央駅を中心に広がる美しいムーア建築と、20世紀の

建築物で世界最高を誇るペトロナスツインタワーをはじめとする近代建築と自

然が見事に調和されたマレーシアを象徴する都市です。

 

その他にもマレーシアには、イスラム教徒ならではのマレーシアでしか見るこ

とができない歴史的建物が多く点在しています。

 

英国風デザインとイスラム建築であるムーア様式を取り入れた建築物。

 

一方で、世界遺産でもあるマラッカの街並みをつくる典型的建築は、ショップ

ハウスと呼ばれる職住一体の中国式長屋で、中国の影響を受けた多様な様式が

融合しています。

 

独立後にはマレーシア植民地時代の西洋文化と、イスラム的モチーフが融合し

た「モハメダン建築」の建築物が数多く生まれました。

現代においても受け継がれている西洋文化とイスラム文化の融合は、マレーシ

アならではの建築の宝庫といえるでしょう。

 

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マレーシアが親日といわれる日本との歴史

マレーシアが親日なのは、イギリスからの独立のきっかけが、日本の占領であ

ったと考えるマレーシア人が多いことがあげられます。

日本人のマレーシアでの暮らしやすさは、マハティール元首相が打ち出した日

本を手本とする「ルックイースト政策」も関係しています。

近年では若い世代を中心に、マンガやアニメなど日本独自の文化の人気が強い

こともあげられます。

 

また現在マレーシアには、日本企業が約1400社進出しています。

マレーシアが親日でもあり、日本との良好な関係を保っている証は、マレーシ

アへ進出している日本企業の多さが物語っています。

 

マレーシアの歴史観光なら必須の歴史博物館

マレーシアの歴史と文化の概要を知るなら、まずはクアルランプールの「マレ

ーシア国立博物館」へ行くのがお勧めです。

歴史保存の目的で建てられた博物館なので、マレーシアの複雑な歴史を深く知

ることができます。

各地域にも、それぞれ歴史的博物館や資料館があるので、地域の歴史を詳しく

知りたい人にはこちらもお勧めです。

 

では、実際にマレーシアの歴史が感じられる、お勧めのエリアを紹介します。

 

マレーシアの歴史を感じるエリアの紹介

 

●オールドタウン(クアラルンプール)

マレーシア独立を宣言した広場ムルデカ・スクエア近辺は古い歴史を持つエリア

 

マラッカ

マラッカの中心となっているオランダ広場を起点にして、世界遺産に登録され

たポルトガル・オランダ支配時代の教会や史跡があるエリア

 

●イポー

キンタ川を境に東側が商店や市場が立ち並ぶ新市街と、西側に広がる英国統治

時代の面影を色濃く残す旧市街エリア

 

●ジョージタウン(ペナン島)

植民地時代のコロニアル様式とプラナカン様式が、複雑に絡み合う街並みが世

界遺産に登録されているエリア

 

マレーシアの観光都市への歩みの歴史

マレーシアは、マレー半島とボルネオ島を含めた広い国土に多彩な魅力と、多

くの観光資源を有する国です。

そんなマレーシアの観光産業は、経済発展を支える成長分野として高く評価さ

れています。

 

マレーシアは、ユネスコの世界遺産に数多くのエリアが登録されていて、各地

の美しいビーチへ多くの観光客を受け入れることで、観光客数が年々増加傾向

にあります。

 

1998年からの約10 年を見てみると、観光客数⇒ 4 倍以上増加・観光収入⇒ 5

倍以上増加となっています。

 

マレーシアを訪れる70%以上が、 ASEAN 諸国からの旅行客者。

ところが近年になり、サウジアラビア王国、アラブ首長国連邦、イランといっ

たイスラム諸国からの来訪者数が増えてきているのです。

また、一人あたりの平均消費額が、他国に比べて群を抜いて高額であるという

ことから、イスラム諸国からの富裕層観光客の消費の場が、マレーシアになっ

ているようです。

 

今後も新たな魅力の創出を多チャンネルで情報を発信することで、観光産業が

さらなる経済成長の柱となっていくのが期待されています。

 

まとめ:マレーシアを知るには歴史を知るのが一番の近道

かつては東西貿易の拠点として繁栄したマレーシアは、殖民地の時代を経験し

独立して経済発展をしてきた国です。

これらの歴史から、マレーシアに様々な影響を与えた国々を見ることができま

す。

また、その歴史が政治に経済に、そしてマレーシアの生活そのものに刷り込ま

れています。

 

マレーシアを知るには、歴史を知るのが一番の近道です。

 

マレーシアを分かりやすく言うと「政治はマレー人・経済は華人」という構図

です。

インド系はあまり目立たず他民族に影響されることなく、民族独自で文化を継

承してきました。

その中で、一貫して変わらないのが「マレー人優遇制度」。

近年になり、この「マレー人優遇」が浸透したことで、マレー人の甘えを生み

出し国力の低下に繋がっているという声が多くなり、独立以来続いた政権交代

も実現しました。

どうやらマレーシアは今後の経済発展に向けて、新たな歴史の転換期を迎えた

ようです。

 

マレーシアを様々な方向から歴史を見ることで、豊かな自然や資源に歴史が積

み重なってできた国だというのが分かるはずです。

その歴史を“融合”という形で、独自の文化を創り出してきた国マレーシア。

この“融合”が、マレーシアの魅力のひとつになっているといえるのでしょう。

 

 

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